「旅の御方!」
茶色のマントに伸び放題の髪、さらに痛みに顔を歪めつつ腕を押さえ歩く青年に
薬師と思わしき男が近づき、馴れ馴れしいほどの距離まで詰め寄り話しかけてくる。
その目は心底青年の症状が気になると言うようなものだった。
「随分と具合が悪そうですね…何かあられましたか?」
「ああ…先ほど魔物と思しき化け物に引っ掻かれたんだ、生憎傷薬も切らしていてな」
「獣に!それは不憫な…私が売ってあげましょう!」
「本当か!?」
男はどうやら正真正銘の薬師らしく、青年が目を輝かせる先で服に取り付けたポケットから
大漁の薬草と思わしき植物を取り出し、色とりどりの薬品の詰まった瓶を取り出していく。
そして薬師は、そのうち一つの粘りを帯びた液体の入った瓶を手に取った。

「この塗り薬なんかいかがでしょう?早く消毒しないと手遅れになりかねませんよ?」
「手遅れとは?」
「最近、魔物に引っ掻かれたり噛まれたりした者が魔物になると耳にするからですよ…そうなるおつもりで?」
「ッ!?何故早く言わないんだ!す、すぐ買うから…いくらだ!?」
値段を聞き青年は目を剥く事となった、信じられないほどの高値だったのだ。
だが、明らかに様子のおかしい狼に噛み付かれた以上…早く治さないとどんな病を発症するかわからない。
野宿も覚悟し青年が財布から有り金を全て取り出し、薬師へ渡そうと手を伸ばす。
まずは小銭からと古ぼけた貨幣を渡され、薬師の目がにんまりと笑みへと変わるが
その「法外な支払い」を制止する声が、向こうの方から聞こえてきた。
「トビア」
「はっ…!?」
「その男からは買うな、僕が治そう」
トビアと呼ばれた青年と振り返った先には、青年と同じく茶色のマントを羽織った
女性と間違えてしまいそうなほどに中性的な風貌の青年が立っていた。
長く伸ばした髪を後ろでひとつに結い、旅慣れした様子の彼は
言葉もなく「薬」を売りつけようとしていた薬師を追い払うように睨み付ける。
「ち…!」
青年に睨まれると、まるで薬師は後ろめたいものがあると言うように舌打ちし
受け取ろうとしていた硬貨をトビアへ渡すと、軽々と岩を飛び越え立ち去ってしまう。
それはまさに、翼が生えているのかと錯覚するほどに軽快な身のこなしだった。

「…危なかったね、トビア」
「アザリア!でも…薬売りだってあの男も」
「アイツは薬師の風上にも置けない奴だよ」
「そう、だったのか…」
「ああ…もう少しの辛抱だよ、トビア」
今度から気を付けるんだよと優しい眼差しで言い聞かせる姿に、
アザリアが言うならとトビアは寂しげに薬師が立ち去ったほうを見やる。
何故共通点もなさそうに見える2人が共に旅しているのか?時は少し前に遡る。

ある地にトビトと言う、己に嘘を吐けない男がいた。
ある日トビトは「悪魔の手先」と忌み嫌われ、奴隷同然の扱いをされていた亜人達に心を痛め、
懲罰を覚悟で亜人の遺体を埋葬し、彼もまた「悪魔の手先」と追われる身となった。
どうにか自宅に逃げ帰れ、事なきを得たトビトだったが…不意の事故から失明し
最愛の妻とも争い、絶望の淵の中、毎日のように祈りを捧げていた。
同じ頃、西の都では資産家の一人娘「サラ」が七度も夫を「内なる悪魔」に殺され、
悪魔祓い達も亡き者とされ、彼女もまた毎日のように祈りを捧げていた。

神はその二人を哀れみ、いつものように地上に降りようとしたラファエルに
「アザリア」と言う偽名を名乗り、人間としてトビトの息子トビアを導くよう命じ、
今こうして西の都に向かっていると言う訳だ。

-

「トビア、今夜はここで腹ごしらえと行こうか」
「アザリア、このまま都に行ったほうが美味しいものが食べられそうだよ?」
「ダメダメ、さっき魔物に引っ掻かれたんだろ。ここの魚の血は薬になるんだよ」
「そうなのか?」
「そうそう、餌なら僕が付けてやるから」
アザリアに言いくるめられるままにトビア釣りの準備を始め、2人で川に釣り糸を垂らし獲物を待つ。
もうちょっと歩けば都だと言うのに、ご馳走が食べられそうだと言うのに、アザリアはここで焼き魚を食うと言う。
中々釣れないやらご馳走にありつけないやらで、やきもきしだしたトビアを他所に
アザリアは鼻歌を歌いながら釣り糸を垂らし、西に傾き出した日を見る余裕まで見せていた。

「…アザリアは落ち着いてるなぁ」
「そうかな?僕もそそっかしい所はあるよ」
トビアは共に旅するアザリアの正体が「癒しの天使」とも呼ばれる大天使であるとは知らない、
だが、トビアは彼が大天使か人間かは関係なく彼を慕っていた。
アザリアは大変博識で、薬効のある植物や食べてはいけないキノコなども丁寧に教えてくれ、
悪魔にやられた時の応急処置や護身術の手解きまでしてくれた、
アザリアが居なかった今頃道中で行き倒れたり、魔物達の餌となっていただろう。
強いて不満を言うならば、余計な事ばかり口にし美味しくもない野草を食べさせてきたりする位だ。
そんな事を考えだした矢先に、トビアの手にしていた釣り竿が「アタリ」を伝えるように激しくしなる。
「よし!デカいぞ!」
「お、おおっ!!」
「すぐに引き上げるな!力を消耗させるんだ!」
アザリアが言う通りトビアの釣り竿にかかった魚はすさまじい巨体を誇った。
1匹釣り上げるだけで2人分の食事になるほどの大きさだった、
トビアはそれを逃がさぬよう、そして竿をへし折られぬよう細心の注意をもって浅瀬まで手繰り寄せ
未だ激しく抵抗するそれへとどめを刺すように、いつも持ち歩くナイフを頭部へ深々と突き立てた。

「肝は食べちゃダメだよ、他は全部美味しい魚だ」
「毒でもあるのか?」
「ああ、臭いもきつくってね…燻したらひとたまりもないよ」
魚を解体していく中で、肝と思わしきものを取り出したが…確かにすさまじい悪臭がした。
燻したらこの臭いが更に酷くなるそうだ、こんなものを取っておいて何になるんだ?
そうアザリアに尋ねると「少量なら良い薬になる」と返され、まずは魔物にやられた傷から治そうと
見事にはぐらかされ、魚から取り出した血と薬草を混ぜ込んだものを傷口に塗り込まれていく。

「明日は早い、しっかり食べて休むんだよ」
魚はアザリアが言う通り肝が異常なまでに臭いが、それ以外は美味と言ってもよく、
焚き火で炙り、携帯している塩を振りかけただけでも十分と言っていいほどだった。
アザリアもよく食べているのか、美味しいのに外道と言われるとか言いながら口にしていく。
目を剥くほどの巨大魚は焼き魚となり、骨と肝を残しあっと言う間に姿を消した。
魚を食べ腹が膨らんだ影響か、旅の疲れが襲ってきたのか、焚き火に当たるトビアはうつらうつらとし始め。
「…先に寝るよ、おやすみアザリア」
「おやすみ、トビア」
よっぽど疲れていたのか、トビアは寝袋に入り横になると一分足らずで寝息を立て始めた。
こんなに疲れてしまうのも無理はない、近道だと無理を言って魔物の住処を突っ切ったのだから、
トビアに「引っ掻き傷」が出来たのもその為、次はしないよう気を付けようとアザリアは自身に言い聞かせ
焚き火に枝を投げ込み、火を絶やさぬようじっと揺れる朱を見つめる。
その背後から、鳥が羽ばたくような音と、こちらへ近付く足音が聞こえてきた。

「アザリア様」
「…ラファエルでいいよ」
振り返った先には純白の翼を生やし、品のいい顔立ちをした人物が片膝を立てていた。
音の主はアザリア、もといラファエルの配下である天使によるもので
上司と同様に、その天使は男性とも女性ともつく中性的な姿をしていた。
「ラファエル様、サラに憑依した悪魔は…アスモデウスのようです」
「アスモデウスか、君達でも厳しいだろうアイツは」
配下の天使が「アスモデウス」と呼んだ悪魔は、そこらの野良悪魔とは一線を画す力を持つ強大な悪魔だった。
アスモダイとも呼ばれ、サラに近付く者を呪縛の冷気で捕らえては絞め殺し、時に氷付けにし粉々に打ち砕き、
外を出歩けば汗ばむほどの季節だと言うのに、霜が降りる程の冷気で屋敷を包みと、悪魔に疎い者ですら人ならぬ者の仕業とわかる程だと言う。
「ラファエル様、お願い出来るでしょうか?」
「ああ…ヤツの事は天使時代から知っていたからね」
天使は上司に任せるなんてと言うような顔をしていたが、相手が余りにも悪すぎる。
ここは自分が行くしかあるまい、それに奴の性格なら天使時代の頃から熟知している
やってみせるよと不敵に笑いつつ…ラファエルは魚の肝を腰の革袋へ詰めた。



本当にアザリアが言う通り、トビアは朝早くに起こされ、まだ灯りもまばらで朝霧が立ち込める中を歩かされることとなった。
早朝に行かねばならない理由でもあるのか?と思ったが、アザリアは一刻を争うと言う顔で
眠たげなトビアの手を引き、煉瓦の道を軽快にサンダルで踏み鳴らし、ひときわ立派な屋敷のドアをノックする。
「…ここに頼めば父さんの目が治るのか?」
「ああ、何せ街いちの資産家だ。最高の眼医者を紹介してくれるだろう」
こんな朝早くに来て迷惑じゃないかと思ったが、固く閉ざされた扉は思いのほかすぐに開き
夜明けも待たずやってきた珍妙な客人に、主は驚きつつも丁重にもてなしてくれた。
しかし…紅茶を出すその目元は、影がかかったように暗く沈みこんでいた。

「そうですか…眼医者を、探す前にひとつ条件を言ってもよいでしょうか?」
「何だい?」
「私にはサラという一人娘がいるのですが…そのサラは心を固く閉ざしているのです」
西の都には「氷の悪魔」に取りつかれた娘がいると、風の噂で耳にした。
娘はサラと言い、飾り気のない美しさと気立ての良さを併せ持つが…
その姿を「氷の悪魔」に見初められ、手を出そうものなら魂まで氷漬けにされてしまうと言う。
根も葉もない噂だが、そう言われても無理がないほどにサラの周囲では奇怪な現象が度々起こり、
メイドやおろか、親にすら顔合わせをしなくなった今でも「何か」見えていると言うように
サラは誰もいないほうを目にしては怯え、震える手を重ね毎日のように祈りを捧げていると言う。
悪魔憑きなんて居るものかと思ったが、事態は思ったよりはるかに深刻らしい。

「それは大変だ!トビア、僕達で何とかしよう」
「ああいや…おれ一人っ子だし」
「君が一人っ子なのとサラの話は関係ないだろ、大丈夫大丈夫!」
「な、何でそんな自信満々に…もう十人以上死んでるそうじゃないか!」
サラに憑いている悪魔が「氷の悪魔」と呼ばれるのは、彼女の周囲で起きる奇怪な現象の殆どが
「異常な冷気」として現れることに由来していた、その冷気は人々から生気を奪い凍え死なせる。
歩けば汗ばむこの季節に凍死させるなんて、悪魔の仕業以外に何だと言うのか?
「氷の悪魔なんだろ?煙に弱いんじゃないかな」
「何をそんな…楽観的に」
勿論ただの煙ではダメだと、アザリアは革袋から魚の肝を取り出して見せる。
一晩ずっと革袋に入れていたせいか、昨夜も嗅いだその臭いは更に酷くなっていた。
「昨日の魚の肝を焚くんだ、一晩経っていい感じに腐ってるし」
「おれ、腐った魚の肝とか嫌だよ!!」
「悪魔だって嫌がると思うよ、やるんだトビア」
「うう…」
腐った生魚の臭いなんか悪魔じゃなくてもお断りだ、これを部屋の中で焚けと言うのか。
サラを救うためとは言え、とんでもない事を言うとトビアは準備を進めていく…
臭いが染み付いても良い様にいつも羽織っているマントではない、ボロ同然のマントへ着替えると、
香炉に魚の肝を詰め込み、腐汁まで一滴残らず詰め込んでいく。

「いいかトビア、部屋に入ったらすぐに焚くんだよ…君まで手遅れになりかねないからね」
「わ、わかってるさ!」
ドアノブの先はサラの寝室…覗き込むとまだ眠っているらしく、ベッドの上で寝返りを打つ姿が見えた。
アザリアとトビアは眠るサラを極力刺激しないよう、異様に肌寒い寝室へ踏み入ると
部屋の真ん中に香炉を置き、マッチを擦ると魚の肝を燻し始める。
「う…!」
予想をはるかに超える悪臭にトビアは顔を歪め鼻をつまみ、アザリアまで顔をしかめた。
臭い、もう尋常じゃないほどに臭い!2人は余りの臭さに激しくむせ始めた。
「げっ…げほげほっ…くっせぇ!!何だよこのっ…げほげほ!」
なんで換気もせずに異臭騒ぎなんか起こすんだ!そうアザリアを睨んだ先でサラに変化があった。
彼女もこの悪臭に反応したのか?と思ったが…その様子は酷く苦しそうで、
その身体は何かが体内で暴れるように跳ね始め、ついには白目を剥いて口をぱくつかせ始めた。
かえって苦しめているではないか!トビアが未だ悪臭を放つ香炉を叩き壊そうと手を振り上げる。

「んぐああああああああ!!!!」
その直後にサラの口が大きく開き、勢いよく黒い影が飛び出してきた。
明らかに人間のものと異なる姿をした影は酷く苦しみながら窓を叩き割ると、
風に溶けるかの様に、凄まじい勢いで都を駆け去っていった。
「あ、あれが…悪魔!?」
「トビア!サラを頼んだよ、僕は奴を追うから!」
「あ、アザリア!!」
窓を叩き割り逃げ出した悪魔を追い、アザリアも凄まじい速さで影を追いかける。
残されたトビアにできることは香炉の火を消し、ぐったりした様子のサラを介抱する事だった。

-

「げほげほっ…ああ!本当に…なんて生臭い!!」
都からほど近い川辺で、サラに憑依していた悪魔は心底不愉快そうに咳き込んでいた。
一頻り動作を終えると悪魔は、吹き込んだのはお前かと視線の先をきつく睨む。
そこには旅の青年ではなく、背より六枚の翼を生やした大天使の姿があった。
「…ラファエル様ですか、お久しぶりですね」
「ああ、今の君はアスモデウスとか呼ばれてるらしいね」
アスモデウスと呼ばれ、悪魔が自嘲の笑みを浮かべる。
かつては純白だったであろう翼は黒く朽ち果て、目は完全に魔のものと化した証に
白目があった部分が黒く染まり、金色の瞳がゆらゆらと揺れている。
皺がより頬のこけた顔は老人にすら見え、かつては天使だったと思えぬ異形の姿と化していた。
「あれは貴方が焚かせたものですね!何なんですか全く…サラを殺すつもりですか!?」
「うるさい、僕だって臭いよ!!七人も殺させておいてよく言えるな!」
臭いと知ってるなら焚くなと真っ当なことを言い、アスモデウスは尚も反論を続ける。
自分の行いは悪意に満ちたものでなく、むしろ正当な行為だと証明してみせるように
ラファエルに向かって、青ざめ骨の浮き出た手を見せてくる。

「私はただ、サラを心から愛してくれる者を待っているだけなのですよ」
「最初はそうだったようだが、今の君は殺しを楽しんでいるように見えるな?」
「そうでしょうか?」
「目が笑っているよ、アスモデウス」
ラファエルは地上を降り出歩く中で「天使」としての責務を放棄し、堕天使となったものを数多く見た。
俗っぽくなった程度で話が分かるものもいるのだが、アスモデウスがそうであるように、邪な欲望を抱くものも少なくはなかった。
「かつては大天使とあおいだ身…しかし今は仇なすもの、死んで頂きます!」
「大人しく殺されるものか、来い!アスモデウス!」
飽くまで丁寧に、だがその手は確実に仕留めるべく鋭利に尖った氷の塊が握られていた。
蒸し暑いほどの川辺はアスモデウスの魔力によって急速に冷え、ついには吹雪が巻き起こる。
天候すら操る大悪魔ならではの異能を、安全圏より眺める男がいた。
「おぉー、やってるやってる」
その顔は昨日トビアに薬を売りつけようとしていた薬師のものだった、今の彼は本当に「翼」が生えており、
純白の翼を興奮気味に羽ばたかせ、吹雪に白みだした川辺をニヤニヤと笑みを浮かべながら見物を続ける。
「魔王アスモデウス様に癒しの天使ラファエル様か…クク、どちらが勝つかねぇ」
どっちが勝とうが面白いと、薬師…もとい堕天使はケラケラと笑い始めた。

「ぐぐぐ…」
状況はラファエルがやや劣勢だった、この吹雪では癒しの風も使えない。
何よりアスモデウスの冷気は「呪縛の冷気」とも呼ばれ、ただ当たっているだけで身体の自由を奪われ生気を吸い取られる。
長引けば長引くだけ此方が追い詰められるばかりと、ラファエルは思わず顔をしかめる。
「おやラファエル様、我が冷気に耐えられませんか」
「ああ、この吹雪じゃ癒しの風も使えないからね」
「フフフフッ…劣勢だと認めるとは、己が力量を理解していらっしゃる」
思いのほか素直に劣勢なことを認めたラファエルにを気をよくしたか、アスモデウスは優越感を露にし
更に彼を追い詰めようと吹雪を強め、宙に作り出した氷の槍で翼を串刺しにしていく。
まさに絶体絶命、と言う体であった。
「まずは外から凍らせてあげましょう、意識を残したまま…氷像として飾ってあげますよ」
「氷像コレクションか、趣味が良いことだな!アスモデウス!!」
そこでようやく、アスモデウスは自分の犯したミスに気付くと異なった。
ラファエルが縮こまっていたのは呪縛の冷気によって生気を吸われたからではない、
この吹雪を消し飛ばせるようになるまで、魔力を溜め込んでいたのだ。
散々ラファエルを苦しめた吹雪は暴風と共に吹き飛び、思わぬ事態にアスモデウスの顔は
天下の「大天使」を追い詰め苦しめる優越感に満ちたものから、狼狽へと変わった。

「その程度の吹雪なら吹き飛ばせる、風の大天使を甘く見るな」
吹雪のお返しだとラファエルは空気の塊を手元に作り出すと、一気にアスモデウスを川まで突き飛ばす。
勿論と言うか、その川には昨日トビアと共に釣り上げた魚がうじゃうじゃと泳いでおり…。
「うぐああああああ!!また魚あああああ!!」
「…残念だったね、僕に賭けておけば良かったのに」
驚き暴れまわる魚に何度もぶつかられ、半狂乱となるアスモデウスを見やり
ラファエルは安全圏から見物に来ていた堕天使の方へ振り返る。
彼はちょっと驚いたような顔をしたが、すぐ「バレていたか」と開き直ってみせた。
「その翼に格好は…お前も堕天使か?」
「まあそんな所で、アスモデウス様のように無為に危害を加える真似はしていませんよ」
「…薬だと言って治療術をかけた水や野草を売り付けていたそうだが、騙すつもりだったのか?」
「いえいえ、私なりに人間はどうすれば助けられるのかと」
堕天使の言葉は何処までが嘘で何処までが事実かはわからない、嘘を見抜く力に優れているラファエルですら、
何処までがそうかわからなくなるほどに、眼前で饒舌に捲し立ててくる堕天使の弁舌は優れていた。

「私はこんなにも人間を愛しているのに!堕天使なんてあんまりですよ、ねぇ?」
「…それは構わないが、せめて『本物』を売るんだな」
「またお得意の御説法で?」
「薬師として思う所があっただけさ、それ以上の悪行を行うつもりなら荒事も考えるよ」
「わかっています…ところでラファエル様、アスモデウス様がお待ちですよ?」
「ッ!!」
それ以上は言葉が続けられなかった、背後よりアスモデウスの放ってきた冷気が翼を直撃したのだ。
そして堕天使はラファエルの注意がアスモデウスに逸れ、翼に冷気を受けた隙を見計い飛び去ってしまった。
「全く…貴方のせいで大事な法衣が濡れてしまいましたよ」
「し、しまった…翼が…!」
「…そのまま氷漬けにしてやりたい所なのですが、力を消耗するわけにはいきません」
川に突き落としたのは本当に僅かな時間稼ぎにしかならなかったらしく、
アスモデウスは眉間に皺をよせ、不機嫌そうに固まった姿を睨み付けてくる。
「今は退却させてもらいますよ…では、また」
「待て!アスモデウス!!あぁっ…くっ」
アスモデウスが転移魔法で姿を消すとことを間近で見せつけられ、ラファエルの顔が屈辱と歪む。
翼を一瞬で凍り付かせてしまった冷気は、魔力の送り主が姿を消したことで休息に溶け始め
辺りを包んでいた冷気も、徐々に…だが確実に元の気温を取り戻していく。

「アザリア!アザリア!!」
アスモデウスと堕天使と言う、2人を同時に逃がしてしまったラファエル…
もといアザリアに、トビアが心配そうな顔で駆け寄ってくる。
それにラファエルは「アザリア」として微笑みかけ、気にかかったことを投げかけた。
「トビア…サラは、サラはどうなったんだ?」
「無事だよ、それよりどうしたんだ?アザリア…凄く寒そうに」
「か、風のせいかな?はははは…」
トビアは旅慣れも女慣れもしていない純朴な青年だ、そんな彼に自分が大天使と知られる訳には行かない。
勿論、凍えている理由は先程まで悪魔に氷漬けにされていたからだという事も。

「もう大丈夫だよ、さぁ…君の父さんの目を治してくれる術を尋ねに行こうか」
まだ心配そうなトビアに、アザリアは大丈夫と念を押し都へ帰っていく、
その足元には、しまい忘れた翼から抜け落ちた羽根が数枚散乱していたた。
(もうすぐ…もうすぐだよ、トビア)
既にアザリアはトビトの目は人間には治せぬものだと知っていた。
しかしそれを悟られてはいけない、神の奇跡により治ったように思われてはならない、
ごく自然に…薬で治療したかのように見せかけるのだ、自分にはそれが出来るとラファエルは己に言い聞かせた。

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