都に呼ばれ早七日、ようやく帰っていいと許しが出たので
アンフィスは黒馬を駆り帰路についていた
魔族特有の尖った耳は人間のように丸みを帯びた形となり、
同族にすら恐れられ、医師にすら治せないと言われた顔の火傷は跡形もない

今のアンフィスは魔界の将軍でなく、偽名と術を使い人間に溶け込んでいた
と言っても術はまだまだ不完全で、油断すると火傷がうっすら現れたり
目付きが魔族のものに戻ってしまうため、目立った行動はできず、
今行っている仕事も「裏稼業」に近かった
既に数えきれないほど殺した身だ、今更何と言われようが気にはならない

「帰ったか、アンフィス」
そんな彼を「妻」は、今となっては聞き慣れた口調と人懐っこい笑顔で出迎えた
また人殺しの仕事かと言う目元はからかうように細められ、
無造作に放った革袋の中身を確認しつつ手招きしてくる
「アンフィス、ちょっと来てみろ」
「どうした」
「見せたいヤツがいる」
自分が外出する間に妻は「何か」作ったらしく、
いつも小物入れに使用していたカゴに布は布団が敷き詰めてあった

覗き込んでみると心地よさそうに赤ん坊が眠っていた
炎か血のように赤い髪に、血管が透けそうなほど白い肌をした赤ん坊だった、
得意気に笑う姿と、赤ん坊の顔を見れば出所は検討がつく
「なんだ?この貧弱そうな生き物は」
アンフィスだって赤ん坊が何なのかはわかる、
しかし見慣れぬものを目にしたせいか自然とそう紡いでいた
相変わらず無愛想で、微笑みもしない彼にも妻は怒らず、
やれやれと首を横に振りつつ隣に並んできた

「息子だ!お前の息子!あんまり帰るのが遅いから産まれちまったよ」
周りの様子から先ほど産まれたと言う感じではなく、
もう一日は経ったとか呆れた顔で言われてしまった
「何で腹痛めてガキ産んだヤツが、へその緒の処理までやらなきゃいけないんだよ?」
「す、すまない…」
「アイツが利口でよかったよ、利口…かはまだわからないけどな」
顔を見てやれと顎をしゃくられ、再び覗き込むと「息子」は静かに寝息を立てていた
まだまだ幼く、よく観察しないとわからないが目鼻立ちが何処か自分と似ている気がする

「ところで…こいつは人間か?魔族か?或いは」
アンフィスにとって何より気掛かりとなったのは息子の「種族」だ、
妻は人間…そして自分は爵位を冠する程の上位魔族
人間が魔族の間に子を設けたと言う話は珍しくもないが、
多くは夢魔を初めとする下位魔族との間に出来たもの、
上位魔族が人間と子供を作ると言うのは異例中の異例であった

半人半魔に産まれたものは最初は人間として産まれ、
徐々に魔族に近付いていくと言うが…この子もそうなのだろうか?
髪を撫でる仕草をしつつ角を探すが、それと思わしき突起は見付からず…
尻尾も翼も生えておらず、見た目は人間の赤ん坊にしか見えなかった

「ウロコがないじゃないか」
注意深くウロコを探す姿を妻に笑われた、自分が帰ってくる前から
付きっきりで赤ん坊を見ている彼女がこんなにも笑うのだ、
きっとウロコなんて一枚も生えていないのだろう
「バカだな、ウロコなんて生えてる訳ないだろう」
「…主は私にはウロコが生えていたと言われていた」
「お前のご主人様がなんて、魔界一信用できないよ」
主の事なので何処までが事実かはわからないが、
自分は卵から手足にウロコがびっしり生えた状態で産まれてきたらしい
謁見に来た貴族が「竜」だと目を輝かせ揺りかごを覗いては、
期待外れと言わんばかりに離れていったそうだ
「人間」を初めとする哺乳類が行う出産体制にかかる肉体的負荷を考えると、
孵化する前に食べられようと卵のほうがよいと卵から産まれる魔族は然程珍しくもなかった

「心配しなくてもあんたの血は入ってるよ、口を見な」
「口…?」
不器用ながらも観察しようとする父親に何を感じたか、
赤ん坊は「よく見ろ」とでも言うように口の中を見せてくる
赤ん坊は産まれて間もないであろうに歯が生えており、特に四本ある犬歯が発達し
まるで吸血鬼か蛇のように鋭く尖っていた、舌も僅かとはいえ先が2つに分かれており
既に人ならぬ者の特徴が色濃く現れていた
「乳をやろうかと思ったが、コイツいきなり乳首に噛み付いて血を吸いやがったんだ」
「ふん、肝が据わったヤツだ」「驚いたよ、魔族のガキってへその緒噛みきるんだな」
本能からの行動か、乳を吸おうとした勢いでか定かでないが、
確かに妻の胸元には「痕」がくっきり残されていた
産まれて間もないのにこの力だ、今度噛まれたら乳首ごと持っていかれかねない
案外楽しみにしていたらしく「直接はやれないな」と妻は苦笑いした

「ところで…こいつ、名前はあるのか」
アンフィスが指差した先で赤ん坊が小さく声を上げ身をよじらせた、
何度も話しかけたせいで眠っていたのを起こしてしまったらしく、
見慣れぬ男をカゴから見上げ…不思議そうに目を丸くしている
赤ん坊を最初を見た時、髪色を見て真っ先に見慣れた空を思い出したが…
開かれた瞳はもっと赤かった。魔界の空よりも赤く暗い、真紅の瞳だ
寝顔の時はわからなかった、母親似の切れ長の目でじっと見上げてくる

「まだ決めてない、勝手に決めたら拗ねるだろう」
「…私は赤ん坊に名を付けた事などない」
「私もない、だから二人で考えればいい」
赤ん坊は既にこちらの言うことが理解できているかのように
ぐずったりもせず、ただ静かに見守っていた。
我が子ながら不思議な赤ん坊だ、こんな目をする赤ん坊は魔界でも見た事がない。
ならそれに恥じぬ、立派な名を与えてやらねばと、アンフィスは口を開く。
「アンフィスバエナ二世、でどうだ?」
「…お前、自分の名前つけてどうするんだよ」
「主が下さった名だ、私は産みの親など知らない」
アンフィスは本気で誇っているらしく、なぜダメなのかと言う顔をしていた。
息子と父親が同じ名前なんて、呼ぶ時めんどくさくて仕方ないだろう、
赤ん坊の方も同じ名は不服と言うように、先ほどから目を合わせもしない。

「なぁ、お前…どんな名前がいいんだ?」
妻が覗き込み話しかけても、揺り籠からの返事はない、
赤ん坊にしては利発だが、さすがに喋る事は出来ないようだ。
どちらも慣れないことをしているのだ、名付けられる側が
「要望」を出してくれたらどんなに良い事か。
「…ダメか、いけると思ったんだがなぁ」
肩を落とす母親に何を思ったか、赤ん坊は小さな指を動かした。
アンフィスの方もずっと首をひねり考えあぐねていたようだったが、
ようやく思いついたと顎にやっていた手を下ろし、再び口を開く。
「レイアデム・ゼムフォード…はどうだ?」
「なんだそりゃ」
「魔族の言葉で『魔人王』を意味する名だ」
「言いにきーよ!大層な名前つけるんだな魔族ってのは」
悪魔側からすれば、天使の名前を子供につける人間も大概だと言いたくなったが
あえて言い返さず動向を見守る、妻はどう略すべきか10秒ほど思案し
決まったというように曇らせていた表情をパッと明るくし、揺り籠を覗き込んだ。
「レイゼム、この名でいいよな?」
レイゼムと呼ばれ、赤ん坊は喜ぶように笑い声をあげた。
どうやら気に入ったらしく、それを見た2人の顔がようやく安堵と変わる。

「…よかったなアンフィス、レイゼムって気に入ったみたいだぞ」
「お前が縮めた名じゃないか」
「拗ねない!ほらレイゼム、そっちの無愛想なやつがお前のパパだぞー」
不愛想は余計だとちょっと眉間に皺をよせ近づくと、あれだけ機嫌のよさそうだった
レイゼムの様子が変わった、まるでアンフィスを怖がるかのように泣き始め
やがて鼻の頭まで赤くし、部屋中に響くほどの声でぐずりだした。
「ど…どうした?レイゼム」
さっきまで機嫌がよかったのに何かしたか?どうすればいいかわからず
可能な限り柔らかい声色で話しかけるが、傍からは脅しているようにしか聞こえず
レイゼムの鳴き声は激しくなるばかり、それうぃ見かねたように妻が一歩踏み出し。
「代われ、アンフィス」
揺り籠からまだ我が子を、首筋に手を当て支えるように抱き上げ
真っ赤な泣き顔にも劣らぬ赤い髪を、髪の流れに沿って優しく撫で始めた。
「おぉ、よしよし…」
暫く撫でると、あれだけ激しかった泣き声は徐々に収まり
妻が抱き上げてからほんの1分足らずでレイゼムは泣き止んでしまった。
そして元の不思議なものを見るような目で、アンフィスをじっと見つめてくる。
「…何故お前だと泣き止むんだ」
「わかってるんじゃないか?今の私は基本魔法も満足に使えない身だって事を」
さらりと言った言葉にアンフィスはハッとした顔となり、妻を支えてやる。
間近で見た妻の目元には「魔法を使い過ぎた」時特有のクマが出来ていた。
「大丈夫か?」
「ハハハ…お前にやられた時に比べりゃ軽い痛みだったさ」

種を越えた愛など部外者の語るきれいごとだ、
人間と魔族の間に子を設けると言うのは双方に負荷をかける行為であるのだ
当然のことだが、人間の身体は悪魔の子供を産めるようには出来ていない、
更に人間に比べ魔族は胎内での成長が非常に早く、数週間足らずで出産する場合もある
急速に出産できる大きさにまで育てる必要があるため
妊婦には凄まじい負荷がかかり…最悪死亡するケースもある

妻は命こそ奪われはしなかったようだが、魔女と呼ばれ
人間はおろか魔族すら恐れさせた力の殆どを我が子に移してしまったようだった
母に寄り添うかのようにぴたりと肌をくっつける姿は、
まるで母親を守ろうとしているかのように見えた
「気を付けろよアンフィス、お前は無愛想だから怒ってると間違われかねないぞ」
「…おかしくもないのに笑う事など出来ない」
「そうだな…しかし、こいつにお前がパパだと教えてやらないと」
レイゼムは母の胸に顔を寄せ、穏やかな寝顔で眠りだしていた。
先程あれだけ泣いていたのに他に欲しがるものはなかったのを考えると、
知らないやつがやってきたと、怖がらせてしまったのかもしれない。
今日だけならともかく何日も続いたらレイゼムの身にもよくない。
可能な限り早く、アンフィスは父親だと覚えさせなくては。
「明日からで良いだろう、時間ならまだある」
「ったく…魔族は気長でいいね」
アンフィスは見た目は四十そこらに見えるが、既に数千年は生きている大悪魔だ。
悪魔は長生きなぶん取り掛かるのが遅いと聞くが、アンフィスは特にその傾向が強いのか
明日でいいなど呆けた返事を返し、剣の稽古をするとか言って出て行ってしまった。
人間はたとえ長くとも100年そこらと言うのに、大層なご身分だと妻は眉をひそめる。

「…レイゼム、お前と居られる時間はそう長くないかも知れないな」
胸元で眠る我が子に優しく話しかけ、彼女は再び我が子を揺り籠に戻し立ち上がる。
アンフィスが稽古を始めたのだから自分も「相手」をしてやらなくては、
七日ぶりの勝負、おまけに出産まで行ったので腕が鈍ってしまっているかもしれない。
「それまでは、私にいつでも甘えていいぞ」
息子といられるのは長くとも数十年、もしかしたらそれより早く「別れ」が来るかもしれない。
その時までは彼のそばにいてやろうと妻は微笑み、すっかり日が落ちた外へ消えていった。

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